近況

うさぎです。読んでくれるのは多分、僕のツイッターアカウントをフォローしてくれてる人がほとんどなので、第1回から「近況」というタイトルで。

 

 

ざっくり言えば最近の流れとしては以下のようなかんじ

今年の2月いっぱいで会社を辞める→無職→飲み屋でバイトする→コロナで店がつぶれて再度無職→友達に仕事を投げてもらい無職脱出(無職とあんまり変わらないけど)→IT技術の勉強のために学校に通いだす

 

 

とりあえず無職になるまでと学校へ出願した経緯から。

 

 

前職はIT系。もう少し細かく言うとSIer(System Integratorの略)というやつ。多分これ和製英語SIerというのは、主に大口のお客さんを相手にしていて、お客さんとやり取りをし、こんなシステムを作りましょうという合意をとり、計画を立て、ある程度はシステムを作る作業をし、手が足りなかったり高い専門知識が必要な分野については下請けに投げるというようなことをしている。ここが僕が大学を卒業して初めて入った会社だった。

 

結構な大企業で、羽振りがいいとは言えないけど世間から漏れ聞こえる初任給の平均よりは幾分よくて、社内の文化はまったり。いい人、優秀な人は多いしこのままいれば昇進していけて、将来安泰な雰囲気に満ちていた。

 

初期配属はもともとの僕の志望とは全く違った技術寄りではない配属だった。これには大分がっかりした。与えられた3つの選択肢のうち一番低い志望順位にしたところになってしまったのだ。初期研修のパフォーマンスはいいほうだったのになあ…と思っていた。まあ研修で寝まくってたのがいけないんだけど。

 

 

かくして懲罰的な選考結果だったのか、お客さんの先のサービスデスク(ヘルプデスク以上にいろいろやるよ的なやつ)で働くことに。直属の上司は本社にいるので心細いし、仕事は一ミリも面白いと思えないし、これやってたからこの先のキャリアが拓けるなんて思えないので精神状態が終わっていた。あと、ずっと座って仕事してるとめちゃくちゃ眠くて無理だった。大して仕事量もないし、暇な時間はバレないようにタイピングの練習してた。バレてたかな。

 

ここにいても身につくことがないので転職市場での評価は終わっているかつさらに落ちていくことなどわかっている。でも配属直後に異動などできないだろう。どうしよう…となっていたところに蜘蛛の糸が垂れてくる。インドのオフィスで働かないかという打診がきたのだ。新人数十人をインドで働かせてみようというプログラムが上のほうで動いていたらしい。

 

 

よっしゃこれで今の現場ともおさらばだ!!!!即決で行きますと回答した。

行くまでには相当なグダグダがありながらも受諾してから3か月ほどでようやく出国した。

 

 

現地ではシステム監視をしていた。同業界の方ならわかると思うが、システム監視は非常につまらない。これは機械にとってかわらせようというのが最近のトレンドである(それはつまらないからではないが)。うーーーん、ヒマだな…と思っていたし、ヒマではあるものの、ムチャクチャな現地人上司と毎日バトるハメに。おかげで半年で10kg痩せ、メンタルが参ってしまったところで帰国。インド自体はおもしろかったのでそのうちインドについて書くかも。

 

 

社内ニート期間を経て、以前から切望していた技術バリバリなプロジェクトへ。某巨大企業のシステム系子会社に常駐してサーバー構築をするチームに入った。ほんとにバリバリで焦る、というかまったくついていけない。納期は短いし、技術レベルはとても高いし、いわゆる報・連・相はカッチリやれないと結構詰められる。今までいたところと比べてあらゆる面で格段にレベルが高かった。

 

 

いい環境だなあと最初はぼんやり思ったけど、自分の技術面での下地があまりになかったために成長カーブは非常に低調で、最後まで完全にお荷物であった。あとはかなり残業をする文化だったのもつらかった。

基本、終電を逃してもオフィスに泊まってねという文化でタクシー代は出なかったため、プロジェクトに在籍した1年半ほどで20万円近くタクシー代に溶かした気がする。高い勉強代であった。帰るまでのタクシーの運ちゃんとの会話は毎回楽しかったけど。

 

 

最後の現場で技術力不足を痛感するものの、同時にもはやそれが仕事をしながら自学で補える範囲の問題じゃないなとも思っていたので流行りのプログラミングスクール的なものを探し始める。

 

 

プログラミングスクールを探していると授業料高いなあ…と思ったり、ツイッターでプログラミングスクール在籍生らしきアカウントを眺めていてうーーーーんという気持ちが高まる。

 

 

そんなときに知り合いから電通大が企業とタッグを組んだプログラミングスクール的な企画をやっていて、そろそろ募集の時期だぞと教えてもらった。費用も安かったし、大学がやってくれるの??いいな…と思いながら募集ページを見て吟味する。1週間ほどで応募をした。

選考はあるけど書類だけだし、あんまり経験者向けっぽくもないしまあ通るやろwみたいな気持ちもあった。

 

 

応募をしてから悩みだす。これ、フルタイムじゃきついかな?と。社会人向けのプログラムで、約半年間、水曜夜に2コマ、土曜に4コマ。授業から1週間は録画も見られる。資料はweb上からいつでも閲覧できる。でも、授業のレベルが上がるごとに復習に要する時間は増えていくだろう。

 

 

きっちり内容を身につけようと思うと、常に残業の可能性があるフルタイムの仕事を抱えてるの、無理ゲーなんじゃないか??

 

 

 

技術バリバリのプロジェクトがキツすぎたので離れたいと申し出て、なんとか今年の1月いっぱいで離れた。ハイパー使えない自分のために送別会などやってもらってしまって、メンタルがダメで帰りに途中の駅のトイレで1時間半、考え込んで動けなくなったりしていた。

 

 

 

本社に戻り、次のプロジェクト候補を紹介される。大阪に本社を構える某超大手へのシステム導入のお仕事らしい。毎週東京都大阪の往復生活で、ホテル代は会社持ちとか。出張手当もつく。社内の出世とか、お金的にはおいしいのかなあとかぼんやり思った。

でも、学校行くとなると無理なんだよなあと思っていた。

 

 

 

学習成果を最大にするためには学校に通う、勉強をする以外、ほぼ何もやることがないことがいいはず。僕は実家住まいだし、目先の毎月のたった数十万、年間の数百万に妥協してここで学習成果があがらなかったらそれこそおしまいだよなあと思ったりした。

 

 

 

次のプロジェクトに入ったら1年間はちょっと抜けないでもらうしかないと釘を刺されていた。いわゆるホワイトカラーの人にはわかってもらえるんじゃないかと思うが、制度上は辞められるにしても、仕事上、今抜けるわけにはいかないというタイミングが存在する。次のプロジェクトに入ることを承諾したらこの先1年は違う道を選ぶことはできない。年齢的にも、この先の判断を1年は保留するのはやばいな…と思ったりした。

 

 

このまま流されて、ほぼ技術には触れないままに年次を重ねて、マネージメントのプロでもないのになんとなく管理職おじさんになってってキャリアを歩むのは嫌だし、フルタイムを辞めるしかないな…と思った。

 

 

 

学校の合否が出る前だったが合格していれば4月後半から授業スタート。新プロジェクトはよければすぐ入ってほしいと言われていた。学校のほうはプログラムの性格や選考の緩さから合格するやろwという自分の勝手な思いがあったのもあり、もはや決断の時間がなかったので会社に退職の意向を伝えた。最後の1か月は優雅に社内ニート生活をした。かなりよかった。2度の社内ニートはどちらも最高と思っていたし、何をやっても学習曲線は終わっているし、そもそもいわゆる会社員に向いていなかった可能性が高い。

 

 

 

辞めてしばらくして出願していた電通大から郵便物が届いた。合格したとのことだった。今はなんとか授業がスタートしたところだ。学校での学習については別ブログを作ってのこしていこうかなあと思っている。退職後についてもひと山あったのでそれは次の記事で。

 

今日の1曲

club/tofubeats

tofubeats関西学院大学出身のDJ。都会的な雰囲気の曲が多くて好き。コーラスのkiki vivi lilyの声がかわいい。

 

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